ストーリー

 

アメリカン・ネイティヴが<歌う川>と呼んだアラバマ州テネシー川のほとりにあるマッスル・ショールズ。人口8000人の小さな町、森の中にある小さな町のフェイム・スタジオ、マッスル・ショールズ・スタジオの2つのスタジオから生み出された音楽は、歴史に残る重要な名曲を輩出してきた。マッスル・ショールズは、政治や地理的な影響を受けずに創造性豊かな音楽活動ができる場所であり、白人・黒人という肌の色に関係なくミュージシャンが才能を発揮できた場所でもあった。

マッスル・ショールズ出身のリック・ホールは地元の金属加工工場に勤める青年だった。貧しい家庭に生まれた彼は、友人と2人で田舎の薬局の2階に小さな音楽スタジオを作る。そこでの活動はすぐに終わりを迎えるが、やがて1959年にマッスル・ショールズでフェイム・スタジオを設立する。地元の白人のミュージシャンを集めて作ったリズムセクションを背景に同じく地元の黒人歌手アーサー・アレクサンダーを起用して録音した「ユー・ベター・ムーヴ・オン」がヒット。これによりフェイムスタジオの名声はアメリカだけでなくイギリスにも轟くことになる。のちに“スワンパーズ”とよばれるこのリズムセクションがつむぐメロディを武器に、リック・ホールとフェイムスタジオは1960年代のソウルミュージックシーンを席巻していく。全米で公民権運動が起こりながらも南部には人種差別がまだまだ根強く残るその時代に、政治や肌の色に関係なく数々のソウルの名曲を生み出していく。

パーシー・スレッジの名曲「男が女を愛する時」、名プロデューサーのジェリー・ウェクスラーと組んでからは、ウィルソン・ピケット「ダンス天国」「ムスタング・サリー」、アレサ・フランクリン「貴方だけを愛して」、チェス・レコードからはエッタ・ジェイムズの「テル・ママ」など次々とヒット曲を飛ばしていく。
のちには名ギタリストのデュアン・オールマンもフェイムの一員となり、彼のアイデアとギターでウィルソンに全く新しい「ヘイ・ジュード」が生まれた。

スワンパーズは、その後フェイム・スタジオを離れ、ジェリー・ウェクスラーと直接契約。リック・ホールのたもとをわかつことになり、自らのスタジオであるマッスル・ショールズ・スタジオを設立。しばらくはヒット曲に恵まれなかったがそんな時、イギリスからザ・ローリング・ストーンズがやってくる。「ユー・ガッタ・ムーヴ」「ワイルド・ホース」「ブラウン・シュガー」など数日のうちに次々と歌ができていく。多忙ゆえに自家用ヘリで移動しなければならないほど、曲作りにのめり込んでいた。その後もジミー・クリフ、スティーヴ・ウィンウッド、ボブvデュラン、ポール・サイモン、サイモン&ガーファンクルなど70年代のヒットチャートを常に沸かせた。
謙虚で情熱的なバンドの姿勢を保ちながら、完璧主義を貫き、成功を追い続けたザ・スワンパーズ。数々のヒット曲の誕生に携わり、アメリカを代表する名曲となった『スウィート・ホーム・アラバマ』でも<マッスル・ショールズにはザvスワンパーズがいる>と歌われている。

フェイム・スタジオでアリシア・キーズが年老いたスワンパーズのメンバーとともにボブ・デュラン名曲「Pressing on」を歌い上げる。そしてそこにはじっと見つめるリック・ホールの姿もあった。