伝説のレコーディング・スタジオ 「マッスル・ショールズ・スタジオ」の歴史に光を当てたドキュメンタリー

2008年
コロラド州ボールダーで不動産業を営むグレッグ・フレディー・キャマリアーは、幼少時代の親友がニュー・メキシコ州に引っ越すことになり、およそ3000キロの車での旅につきあうことになった。少なくとも2-3泊にはなる長旅の途中彼らはアメリカ南部を通り、そこで「マッスル・ショールズ」の看板を見かけた。アマチュア・ミュージシャンで音楽を愛していた彼らはマッスル・ショールズで作られた音楽のいくつかが自分たちのお気に入りだったことを知っており、その街に一泊することにした。
マッスル・ショールズに宿泊しながらコンピューターでいろいろ街のことを調べると、そこで生み出された音楽の歴史の素晴らしさと、その街の音楽界への影響力の巨大さに驚嘆し、グレッグはこれをドキュメンタリー映画にしようと思いつく。
彼はこれまでに2本ほど映画プロデュース(資金提供)をしたことはあったが、自分が企画からすべてを始めるのは初めてのことで、ありとあらゆることが初体験となった。
その車の旅からおよそ3年半の年月を経てこれが一本の映画となった。それが本作『黄金のメロディ~マッスル・ショールズ』だ。これはグレッグにとって監督としての初作品でもある。
音楽ドキュメンタリー。
ウィルソン・ピケットの「ダンス天国(Land Of 1,000 Dances)」、ステイプル・シンガーズの「アイル・テイク・ユー・ゼア」、パーシー・スレッジの「男が女を愛するとき(When A Man Loves A Woman)」、ローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」、ポール・サイモンの「コダクローム」、アリーサ・フランクリンの「アイ・ネヴァー・ラヴド・ア・マン」、クラレンス・カーターの「パッチェス」などなど。これらの大ヒット曲をすべて生み出したのがマッスル・ショールズにある録音スタジオだ。
アメリカ深南部アラバマ州にある小さな街、マッスル・ショールズ。コットン・フィールド(綿花畑)と森と川しかない、つまり何もない所に一人のミュージシャンが音楽スタジオを建てた。リック・ホールという男が1950年代後期に作った「フェイム・スタジオ」だ。このFAMEとは、フローレンス・アラバマ・ミュージック・エンタープライズの頭文字を取ったもの。そこはいつしか土地の名前で「マッスル・ショールズ・スタジオ」と呼ばれるようになった。
ここからは1960年代に入って多くのソウル、さらにカントリーのヒットが誕生。それらを受けて世界中からこのサウンドを求めてプロデューサー、ミュージシャンたちがマッスル・ショールズ詣でが始まり、「マッスル・ショールズ・サウンド」は世界的な音になっていった。
 本作は2012年暮れまでに製作され、2013年1月26日、サンダンス・フィルム・フェスティヴァルでプレミア公開、さらに、2013年2月のアメリカ・コロラド州ボールダーで行われている「ボールダー・フィルム・フェスティヴァル」で堂々グランプリ(同フェスの最高賞)を獲得、一挙に注目を集めた。その後、2013年9月27日に全米で公開。これまでに69万ドルの興行収入をあげている。
グレッグ・キャマリアー監督は「僕らが目指したことは、スタジオにある物語を語らせるということだった。多くのミュージシャンたちがこれらのスタジオに光を当てて語ってくれた」という。
音楽ドキュメンタリーというカテゴリーでいえば、一番近いのが『永遠のモータウン(Standing In The Shadows Of Motown)』、また、最近だと『シュガーマン 奇跡に愛された男(Searching For Sugar Man)』、アカデミー賞ドキュメンタリー部門を獲得した『バックコーラスの歌姫たち(20 Feet From Stardom)』などが思い浮かぶが、そうした作品と並べてもひじょうに興味深い作品になっている。
アーカイヴ。
基本的には「フェイム・スタジオ」を始めたリック・ホールが大まかな歴史を語り、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ボノ(U2)、クラレンス・カーター、パーシー・スレッジ、スティーヴィー・ウィンウッドら20人近くがインタヴューに答える。実に多くのアーカイヴ映像からの資料が使われており、パーシー・スレッジ、ウィルソン・ピケット、ジェリー・ウェクスラーら故人のインタヴューも見られる。
これらのアーカイヴのうちいくつかは、1969年にスゥエーデンの映像作家が撮影していた30分のフィルムから使われている、という。これはひじょうに質のいいモノクロの16ミリのフィルムが残っていた。またローリング・ストーンズの映画『ギミー・シェルター』からも使用している。また、驚くべきことに、フェイム・スタジオには1960年代の8ミリ・フィルムが残されておりそれらも使用した。
南部には有名になったスタジオがいくつかある。テネシー州メンフィスのサン・スタジオ(エルヴィスを輩出)、ロイヤル・スタジオ(アル・グリーンを輩出するハイ・レコードのスタジオ)、ミシシッピー州ジャクソンヴィルにあるマラコ・スタジオ(ジーン・ナイト、ドロシー・ムーアなど輩出)。このアラバマのフェイム・スタジオ、マッスル・ショールズ・スタジオもそうした名門スタジオのひとつに数えられる。
なぜここはこれほど多くのミュージシャンたちに愛されるのか。なぜここからはたくさんのヒットが生まれたのか。彼らが生み出す「ファンキーな」サウンド、「グリージーな」(油っこい)、「マディーな」(泥臭い)サウンドの秘密はどこにあるのか。そうした謎をこの作品は実に美しい映像とこれまでに見たこともないようなアーカイヴ映像とともに浮き彫りにしていく。これは南部音楽への旅でもある。
袂(たもと)。
リック・ホールはプロデューサーとしても力を発揮、多くのヒットを生み出したが、ひじょうに個性的なキャラクターで、ふだん使っていたミュージシャンたちとも徐々に意見の相違が多くなった。そこで、元々フェイム・スタジオで活躍し自ら「スワンパーズ」と称していたロジャー・ホーキンス、デイヴィッド・フードらは、リック・ホールと袂を分かち、1969年、近くに「マッスル・ショールズ・スタジオ」を設立し、ここをベースに活動するようになる。こうしてマッスル・ショールズには、「フェイム・スタジオ」と「マッスル・ショールズ・スタジオ」という二つのスタジオが同じようなサウンドを作るようになった。(ちなみに同地にはクイン・アイヴィーというソウル・プロデューサーが持つクイン・アイヴィー・スタジオもあった)
一方、スタジオにおける主要ミュージシャンを失ったリック・ホールは地元でまた新たな有能なミュージシャンを見つけ、彼らに「フェイム・ギャング」と名づけ、スタジオ仕事をたくさんやらせるようになる。
この作品も、『永遠のモータウン』や『バックコーラスの歌姫たち』など同様、ふだんはほとんど脚光を浴びない裏方の、しかし、その音楽のエッセンス(本質)を作り出す人々に光を当てているドキュメンタリーである。
音楽ファン、ソウル・ミュージック・ファンとしては見所が満載だ。ニューヨークのインテリ音楽ビジネスマン、ジェリー・ウェクスラーと南部のダウン・トゥ・アースな気取りのない田舎人のリック・ホールや他のミュージシャンたちとの確執。これだけソウルフルな音を作りながら、それを演奏していたのは実は白人なのだが、1960年代における周囲の白人対黒人という人種差別の図式とは別に存在する音楽を媒介としたミュージシャンシップも興味深い。
このドキュメンタリー映画の製作過程で、一度は袂を分けたリック・ホールとミュージシャンたち、スワンパーズとの劇的なリユニオンも描かれる。本編では描かれないが、DVDのエキストラ・トラックで4人がリヴィング・ルームのようなところでゆったりと昔の思い出話に浸っているところなどは胸を打つ。
本作は、もうひとつのサイド・ストーリーとして、これまでに語られたことがないリック・ホール自身の人生が語られる。彼の妻、彼の父についての語りは、リック・ホールのソウル・サーチンの物語としても見ることができる。確執・別離・再会が実にうまく描かれているのだ。
数々のソウル・ヒットの誕生とその秘話は音楽ファンの魂を揺さぶるにちがいない。
【April 20, 2014、Yoshioka Masaharu – The Soul Searcher】
吉岡正晴=音楽評論家。ソウル・ミュージックの情報を発信しているウェッブ『ソウル・サーチン』、同名のイヴェント運営。1970年代には六本木「エンバシー」などでDJ。ディスコ、ブラック・ミュージック全般に詳しい。著書に『ソウル・サーチン』(2012年7月から電子書籍でリリース)、翻訳本に『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著)、『マイケル・ジャクソン全記録』など。2013年4月から関東地区のインターFM(76.1mhz)で毎週火曜日深夜24時から1時までソウル・ミュージック専門番組『ソウル・サーチン・レイディオ』の選曲構成DJを担当中。
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